ESSAY

製造業の復権 ──

AI時代に、物を作るということ

加藤 勇志郎 / 2026年9月

色のない日曜日

ある日曜日だった。私は朝から、塗装会社に電話をかけ続けていた。


前の日、取引先の工場に届けた板金部品で不良を出し、こっぴどく怒られたばかりだった。原因は塗装にあった。だが、日曜日に開いている塗装会社などない。何十件とかけ続けて、ようやくつながった一社には、指定の色がなかった。私はその場で調合を頼み、なんとか間に合わせた。


頭を下げ、原因を確かめ、代わりの部品を自分の手で運ぶ。それが、そのとき私にできる、たったひとつのことだった。


26歳、会社を創業した年のことだ。


その少し前まで、私はコンサルタントとして、大手製造業メーカーにアドバイスをしていた。コストダウン、設計改革、子会社の統合。スライドを作り、経営陣に向かって、それらしいことを偉そうに話していた。自分は製造業を理解していると思っていた。その自信は、現場に立って数日で、脆くも崩れ去った。


自分で始めた会社の現場で、私は図面を読み、町工場を一軒ずつ回った。創業メンバーの1人は、町工場で無給で数ヶ月働かせてもらった。私が訪問した工場は、ゆうに1000社を超えるだろう。見積もりを叩き、Q(品質)・C(コスト)・D(納期)と、夜な夜な格闘した。1円のコストを削るために図面を睨み、不良票の前で頭を下げ、納期遅延の電話越しに謝り続けた。


あるとき、単純なブラケットが、バリだらけで納品されてきたことがあった。図面の上ではなんということもない、L字に曲げた金属の板だ。私はそれを、手が動かなくなるまで、ひとつずつ削った。バリを取る、というだけの作業だ。だが、指先の感覚がなくなるまでやって、ようやく、物を作るということが何なのかを、少しだけ分かった気がした。


それから5年経った2022年。気づけば私たちは、半導体プラントの製造装置のコア部品も、東京ドームより大きな水処理設備群も、工場の心臓部の工作機械の丸ごと一台も ── 世界で最も作るのが難しい複雑な製品を、年に数十万種類、一点物から中量産まで一手に引き受けられるプレイヤーになっていた。


物を作るというのは、華やかな知的作業ではない。それは、泥臭い物理と現実の積み重ねだ。3D CADが正しくても、鉄はその通りには曲がらない。塗装は下処理を怠ればいとも簡単に剥がれる。アルミ溶接の歪みはものすごい。私はそれを、頭ではなく、手で覚えた。


だからこそ、AIで知的な作業が速くなるという話を、私は心から歓迎する。AIが数学の論文を書き、2億の蛋白質構造を予測する。世界の知能が拡張された。これは本物だ。私はAIの進歩を疑っていないし、それを小さく語るつもりもない。


しかし、いつも同じ問いに引き戻される。

AIがこれだけ賢くなった結果、私たちの住む物理世界は、いったいどれだけ変わっただろうか。


正直に言えば、ほぼ何も変わっていない。道路を走る車も、いつもの通勤路も、病院にある機器も、街の工場も、10年前と同じだ。


理由は単純で、AIが賢くなることと、現実世界が変わることは、全くイコールではないからだ。現実を変えるには、物理的な何かを作らなければならない。当たり前のことだ。


だが、この当たり前が、AIブームのなかで、いちばん忘れられかけている。


私は、その手前にある「物を作る」という営みが、どれほどAIだけでは動かないかを、身体で知っている。

AIが解けない世界

飛行機が、一機、空から落ちる。


数百人が乗っている。乗客はスマートフォンを持ち、機内では映画が流れ、地上の管制室は世界中の便をリアルタイムで捕捉している。私たちの知能は、これほど遠くまで来た。それなのに、たった1部品の金属疲労が限界点を超えた瞬間、機体は物理法則に従って落ち、人はいとも簡単に死んでしまう。

10年以上かけて準備されたチャレンジャー号が1986年に爆発したときも、Oリングという小さな部品たった1つが原因だった。


こんなにも知能が賢くなって、あらゆる問題が解けるように見えるのに、なぜ飛行機が落ちれば、車同士がぶつかれば、いとも簡単に人は死んでしまうのか。


AIが知能の限界を超える今だからこそ、人類はよりプリミティブな物理的な限界、「物的限界」という課題に直面していく。


  • 毎年119万人が、交通事故で死ぬ
  • 毎年700万人が、大気汚染で早死にする
  • 世界の半数、40億人以上が、車で自由に移動する手段を持たない
  • 20世紀に築いた橋や水道や送電網が、先進国で一斉に寿命を迎えている
  • 最先端半導体の9割以上が、台湾という一か所に集中している。世界中のモノづくりが、地政学に律速されている


これらは、AIが書く論文の数では解決しない。LLMの推論速度でも、コードの行数でも、ほとんど何も変わらない。物質を、エネルギーを、空間を、現実世界そのものを変えなければ、消えない。


被害だけではない。

その反対側には、壁を越えれば生まれる解放もある。医薬・医療機器の進歩による、寿命の延長と身体の拡張。エネルギーと計算資源が、誰の手にも届く民主化。東京からニューヨークまで40分で移動できる世界。宇宙という物理空間へのアクセス。地球全体をリアルタイムに観測し、二度と災害を見逃さない目。

どれも、物質を作れれば近づき、作れなければ遠いままだ。


私はこれらを 物的限界(Physical Limits)と呼んでいる。被害の側と解放の側、大きく二つに分ければ、あわせて14の塊になる。物理として、いまこの瞬間に実存する限界のことだ。論文だけでは解けない。コードだけでも解けない。設計され、試作され、試験され、量産され、配送され、設置され、運用され、保守されて、はじめて解決する。その全部を金額に直せば、私の概算では、年におよそ126兆ドル(2京円)にもなる。いまの世界GDPの合計の、およそ1.15倍にあたる規模だ。桁の話なので、細かな数字よりも、その桁が伝える規模感を見てほしい。


これは、AI時代に新しく現れた問題ではない。人類が物理世界に生きているかぎり、ずっとあった問題だ。むしろ、AIが人智を超えていけばいくほど、この極めてプリミティブな限界が、人類のボトルネックとして前景化してくる。


知能が進化すればするほど、物質の進化との乖離が、圧倒的に大きくなっていく。


人類の進化のボトルネックは、今や物的限界にシフトしつつあると言ってもいいだろう。


問いは、ここから始まる。この壁を、誰が、どうやって越えるのか。

30年の非対称

ひとつ、単純な事実を並べてみる。


30年前、1995年に、自動車をコンセプトから量産まで持っていくのに、約4年かかった。30年経ったいまも、それは、やはり約4年かかる。さまざまな改善と努力は行われているものの、根本的なリードタイムは変わっていない。


いっぽう、こちらも事実だ。30年前、ECサイトを立ち上げるには、データベースとサーバと決済とUIとテストで、数年かかった。いまは、既製のSDKと、クラウドを組み合わせ、AIを動かせば、基本形は1時間もかからず立ち上がる。


これが、Bit(情報)とAtom(物理)の非対称だ。


過去30年、人類はBitの世界を100倍以上速く進化させた。Atomの世界は、多くの産業でほぼ同じ速度のまま進んだ。そしてAI時代に、この差はますます開く。AIが思考を1万倍速くして、理論を1万倍生み出したとしても、車の量産化が4年のままなら、AIの上振れは物理世界で大きく希釈される。物的限界を解くとは、つまり、この非対称を解くことに他ならない。


なぜ、Atomはこれほど遅いのか。我々は3つの特異性を定義しているが、簡単なものの1つは、これだ。


物理世界には、Ctrl+Z、つまりUndo(やり直し)がない。


ソフトウェアは、壊してもいい。バグを出しても、ロールバックすればいい。Ctrl+Zを押せば、一手前に戻る。だから、速く動いて、速く壊して、速く直せる。だが、物理世界にはCtrl+Zがない。穴を開ける場所を間違えたら、その金属はもう戻らない。間違ったまま組み上げた製品が事故を起こせば、人が死ぬ。だから、物質を作る側は、一手ごとに重い責任を背負い、慎重にならざるを得ない。何度も確認し、試験し、記録する。この「やり直せなさ」、我々の特異性定義でいう「固定化」という性質こそが、Atomが構造的に遅い、大きな理由のひとつだ。

鉄腕アトムの70年

ここで、私が子どもの頃に読んだマンガを思い出す。


1952年、手塚治虫が鉄腕アトムを描き始めた。70年以上前、日本がまだ戦後の貧困から立ち直っていない頃だ。手塚も読者も、これを「未来予測」として読んでいたわけではない。面白い少年マンガとして楽しんでいた。誰も「これは予言だ」とは思っていなかった。


しかし70年経って振り返ると、歪な分布が見える。


Bit(情報)の予言は、ほとんど実現した。 人と会話する人工知能。外国語を瞬時に訳す自動翻訳。オンライン面談。全世界をつなぐネットワーク。当時から見れば魔法のような話が、いまや手のひらの上にある。ほんの20年前ですら、自動翻訳機は夢物語だった。それが、いまは当たり前だ。


Atom(物質)の予言は、ほとんど実現していない。 空飛ぶ車は、やっと試験段階だ。無尽蔵のクリーンエネルギー源となる核融合発電は、原理は証明されても、いまだ研究の途上にある。どんな場所でも人間のように動くヒューマノイドは、量産の入り口に立ったばかりだ。月の都市も、火星の都市も、1952年とほとんど変わらず「未来の話」のままだ。


当時の人から見れば、これらはどれも同じくらい無理に見えたはずだ。会話するロボットも、月の都市も、等しく夢だった。それが70年後、情報の側の夢だけが片っ端から現実になり、物質の側の夢はほとんど据え置かれた。この非対称こそが、私たちがいま生きている世界の、いちばん深い特徴だと思う。


だが、物質の夢が実現しないのは、それが物理的に不可能だからではない。多くの場合、原理は、とうの昔に分かっている。足りないのはいつも、それを実際に作るまでの時間のほうだ。


飛行機を思い出してほしい。ライト兄弟の話はみんな知っている。1903年、彼らは初めて動力飛行に成功した。だが、その原理がいつ生まれたかを知っているだろうか。空を飛ぶ仕組み、つまり揚力・抗力・推力・重力を切り分け、固定翼と機体と尾翼で飛ぶという近代航空機のかたちを、ジョージ・ケイリーが図に刻み、論文『空中航行について』に書いたのは、1809年、19世紀のはじめのことだ。原理が見えてから、たった一機が地を離れるまでに、およそ100年かかっている。 そこからさらに、安全で、安く、誰もが乗れる空の旅になるまで、また数十年。ボトルネックは、ただの一度も「飛ぶ仕組みが分からない」ことではなかった。どう安全に制御するか、軽いエンジンをどう作るか、どう量産するか。つまり、物質にする側に、時間のすべてがあった。


こうした事例は枚挙にいとまがない。CTスキャンは、その数学的原理(ラドン変換, 1917年)が生まれてから、実際に人体を撮影できる装置になるまで、54年。レーザーは、アインシュタインが誘導放出を予言(1917年)してから、最初の1台(1960年)まで、43年。電気そのものも、ファラデーが電磁誘導を発見(1831年)してから、街に電灯を灯す発電所(1882年)まで、51年かかった。どれも、「分かってから作れるようになるまで」に、人の一生ぶん近い時間が消えている。


空飛ぶ車も、核融合発電も、ヒューマノイドも、同じだ。原理は、もう見えている。核融合にいたっては、2022年に世界で初めて、投入を上回るエネルギーを取り出すことにも成功した。それでも、社会には届かない。届くまでの、物質にするまでの時間が、途方もなく長いからだ。


だとすれば、問うべきは、ただひとつになる。物を作ることは、なぜこんなにも遅いのか。 そして、その遅さは、本当に変えられないものなのか。

パンデミックという鏡

2020年の春、世界中の店から、マスクが消えた。


消毒液も、防護具も、店頭から姿を消した。人工呼吸器が足りない。検査キットが足りない。ワクチンは設計できても、量産する能力が追いつかない。世界でいちばん豊かなはずの国々が、たった数枚の不織布を、自国で十分に作れなかった。


あの豊かなはずの米国でさえ、限られた人工呼吸器を誰に回すか、つまり誰の命を救うかを、現実に選別せざるを得なかった。作れないことによって、失われた命があった。


作れない、ということが、これほどむき出しになった瞬間を、私は他に知らない。同じ構造は、形を変えてどの国にもあった。日本やアメリカでもマスクと消毒液が消え、医薬品の有効成分の輸入依存は、いまも解けていない。そして少し後には、半導体が足りなくなり、工場のラインが止まり、注文した新車が何ヶ月も届かない、という事態まで起きた。作る力の欠落が、サプライチェーンをたどって、ふつうの人が車を買えない、という日常の不便にまで届いた。


あの頃、私たちも動いた。パンデミックのさなか、私たち自身も、医療機器や空調設備を集中的に作る組織を立ち上げた。毎月、何百、何千という設備を作り、現場を支えようとした。それが、あのとき世界が必要としていたことだった。作れる者だけが、動けた。


このとき、私はひとつの確信を得た。作るということは、いまや国防でもある。


大袈裟に聞こえるだろうか。だが、遡れば、国家が多くの最悪の選択をした背景には、「物理的な何かが手元にない」という事情があった。石油が、鉄が、ゴムが、医薬品が、半導体が手元にないとき、人と国は追い詰められる。大日本帝国がそうであったように。逆に、資源と製造能力を多重に持つことは、危機のときに選べる手を増やす。物を作る力は、国家や社会が持てる選択肢の幅を、そのまま決める。


これは、特定の国だけの話ではない。「作れない者の脆弱性」は、どの国にも、どの地域にも共通する。


そして、誰が物理的に作るのか。設計者、エンジニア、職人、ロボット、工場、サプライチェーン。すなわち、製造業だ。

Materializationが遅い、本当の理由

ここで、これから何度も使う言葉を、ひとつだけ定義しておきたい。私は、ひとつのアイデアが生まれてから社会に行き渡るまでを、三つの段階で捉えている。ひらめき・発見(Spark - スパーク)、それを物質にすること(Materialization - マテリアライゼーション)、そして世に浸透させること(Diffusion - ディフュージョン)だ。AIがいま直接的に速くしているのは、最初のSpark、つまり発見やアイデアの部分にすぎない。だが、その真ん中にある Materialization、アイデアを現実の物質として立ち上げる段階こそが、いちばん大きく、いちばん時間を食う。


東京大学の藤本隆宏教授は、モノづくりを「設計情報を素材に転写すること」と定義した。美しい言葉だ。ただ、Materializationはその転写だけではない。理論を、作れる設計の形に落とすこと。1個を、同じ品質のまま百万個にすること。そして規制にも時間にも耐えて、長く壊れずに動き続けさせること。その全部を、私はこの一語で指している。


そして、ここからが、いちばんの核心だ。


物を作るのは、確かに遅い。それは事実だ。だが私たちは、その遅さの理由を取り違えている。遅いのは製造工程の問題である、と思い込んでいる。 鉄は硬いから、化学反応には時間がかかるから、物を組み上げるには手間がかかるから、仕方がない。そう思っている。だが、実際に分解すると、意外な事実が浮かぶ。


新型自動車を4年で量産化するケースを取り上げよう。4年は、1,461日だ。この中で、「鉄を物理的に加工して、1台の車を組み立てる」のに、実際には何日かかっているか。


1台の車を物理的に作る純粋な作業時間は、足し合わせて1−2日ほどだ。プレス、溶接、塗装、組立、検査。これらの正味の作業を合計しても、その程度でしかない。ここに塗装の乾燥待ちや、工程と工程のあいだの待ち時間を加えて、原材料が1台の車になって工場を通り抜ける総時間を見ても、せいぜい3日から5日だ。


つまり、約4年のうち、自動車会社内での純粋な組立工程が占める時間は、わずか0.1%程度しかない。


ここに、車の部品を製造する工程や、試験、試作をすること、数千社のサプライヤーにおける製造作業など「工場内での物理的な活動」を伴う活動を全て足しても、全体の20%には到底満たない。


では、残りの80%以上は、いったい何に消えているのか。


ほとんどが、工場フロアの外の仕事、つまりホワイトカラーの仕事 だ。市場調査、企画、設計、シミュレーション、試作仕様の作成、試験データ評価、設計修正、規制対応、ドキュメント作成、サプライヤー交渉、すり合わせ、品質会議、量産設備の設計、立ち上げ計画。工場の中で加工し、組み立てている時間ではなく、その手前と周りにある、膨大な作業と調整と判断の時間だ。


すなわち、Materializationの遅さの大半は、物質そのもの、つまり鉄の硬さや化学反応の速度にあるのではない。物を作るための、知識と調整のプロセスにある。


もちろん、消せない物理時間はある。コンクリートは決まった時間をかけて硬化するし、化学反応は決まった速度でしか進まないし、臨床試験は人体の中で必要な期間を待つしかない。規制の重さにも、正当な理由がある。それらは残る。だが、それらは、4年という時間の、ごく一部でしかない。


だとすれば、問いはひっくり返る。もし遅さの大半が、物質そのものではないのなら、それは本来、作り替えられるはずの遅さだ。


ここで、さきほどのECサイトの話に戻りたい。30年前は数年かかったものが、いまは1時間で立ち上がる。だが、あれは人が100倍速くコードを書けるようになった話ではない。決済も、認証も、在庫も、検索も、すでに誰かがきちんと作り、ライブラリやSDKという形で、誰でも呼び出せる場所に置いてある。フレームワークを選べば、土台はもう組み上がっている。作る人は、それを持ってくるだけでいい。1時間で立ち上がるサイトの中身は、他人が書いた数千万行だ。速くなったのは、書く速さではなく、自分で書かなくてよくなった範囲のほうだ


そして、ここが肝心なのだが、これはAIが来る前から、すでに起きていたことだ。生成AIが一行もコードを書いていなかった時代に、ECサイトの立ち上げは、もう数年ではなく数日になっていた。ソフトウェアの100倍は、賢い機械が現れたから実現したのではない。他人が出した答えを、そのまま持ってこられる仕組みが積み上がったから実現した。AIは、その積み上がった土台の上に、あとから乗って、それをうまく組み合わせることでさらに速くしているにすぎない。ソフトウェアの30年の速さの正体は、工程の速さでも、機械の賢さでもなく、再利用率だった。


ソフトウェアの世界では、誰かが一度解いた問題は、二度と解かれない。解には名前があり、他人がそのまま持ってこられる形で置かれている。物理の世界は、その逆だ。私が指の感覚をなくすまでバリを取った、あのL字のブラケットを、世界の何百万という会社が、いまも毎日、それぞれ初めてのつもりで設計している。そして、それは会社横断の話だけではない。会社内でも、全く同じことが起こっている。製造業の設計の世界には、過去の答えを誰もが再利用できる、ソフトウェアのリポジトリやパッケージに相当する仕組みがない。調達も、生産技術も、製造も、品質保証も、アフターマーケットも同じだ。


これは「工場の中の製造そのものを速くする」という話ではない。特に遅いのは、何を、どう作るかを決めきるまでの全部で、そこには人類が何十年ぶんも積み上げてきたはずの答えが、資産の形になっていない。

誰が解くのか ── 製造業の復権

物的限界を解く主役は、誰か。


研究者も要る。ソフトウェアエンジニアも要る。物流業者も、規制当局も要る。だが、最も重い役割を果たすのは、物を作る人々 だ。設計者、溶接職人、生産技術者、ロボット、工場、機械、サプライヤー。私たちはこれを「製造業」と呼んでいる。物的限界を越える主役は、製造業である。


そして製造業とは、人類が人類になったときから続けてきたことの、いまの名前にすぎない。


石を打ち欠いて刃物にした。火を扱い、土を焼いて器を作った。木を組んで船にし、車輪を発明し、そうしてアフリカの草原を出ていった。人類が生き延び、増え、地球の全域に広がったのは、考えたからではない。作ったからだ。 考えることは、他の動物もやっている。だが、頭の中にある像を、手で物質に変えてしまう生き物は、人類だけだった。私たちは Homo sapiens(賢い人)であると同時に、Homo faber(作る人)である。


だから、製造業は「20世紀の産業」ではない。数ある産業分類のひとつでもない。私たちがいまの繁栄を手にしている、その手段そのものだ。医療も、通信も、電力も、都市も、食料も、そのすべてが、誰かが作った物の上に載っている。そして次の壁、物的限界を越えるときにも、越えるのは作る人だ。製造業は、いまさら中心に戻るのではない。ずっと中心にいたのに、この30年間中心として扱われてこなかっただけだ。 私が復権と言うのは、そういう意味である。


そして、これはひとつの国だけの物語ではない。過去30年、モノづくりの中核は、日米欧から東アジア・東南アジアへと大きく移った。中国は世界最大の製造国家になり、韓国はメモリと造船で、台湾は先端半導体で、揺るぎない存在感を持った。ベトナム、タイ、インド、メキシコは、それぞれの仕方でモノづくりの力を積み上げてきた。米国は国内回帰を再開し、欧州は産業基盤の再構築を始めた。次の30年、物的限界を解いていく主役になれるのは、物を作る能力を持つ、すべての国・地域・産業 だ。


それなのに、いま世界には、物を作ることに身を投じる人が、足りていない。「AIで社会が変わる」という議論ばかりが目立つ。だが、そのAIを支える物理基盤を、誰が作るのか。誰が発電所を建て、誰が半導体の工場を動かし、誰がロボットを量産するのか。そして、誰が物理的な現実世界そのものを変えるのか。ここには、人類が次の30年で挑むべき、最も大きな問題が、ほとんど手つかずで残されている。

私が立っている場所

私自身も、その問いに向き合っている一人だ。


26歳のあの日曜日、私にできたのは、電話をかけ続け、頭を下げ、代わりの部品を自分の手で運ぶことだけだった。あれから10年近く経つが、やろうとしていることは、実はほとんど変わっていない。作る人が、もっと速く、もっと確かに作れるようにすること。変わったのは、その対象が、一社の納期から、世界の作り手のほうへ移ったことだけだ。


キャディという会社で、去年、10年ビジョンを策定した。「物的イノベーションを10倍加速する」。うまくいく保証などない。それでも、物を作るリードタイムを圧倒的に縮められれば、発見と物を作ることの回転数が上がり、AIが広げた知能の余白が、ようやく物理の世界に届く。Bitが30年で100倍以上速くなったのだから、Atomの世界にも起こせるはずだ。


そして、いま私たちが作っているのは、もう物理的な製品そのものではない。世界中の作り手が、いまよりずっと速く物を作れるようにする、物を作るための基盤のほうだ。

二つの記憶に、戻る

19歳の夏、私は東南アジアをひとりでバックパックしていた。ある夜、カンボジアの田舎町で、私と同い年の少年たちに囲まれた。彼らは小舟で案内すると言い、私はお金を払った。舟の上で、彼らは同じ19歳で、家族は車など持っていないと言ったが、タバコを吸い、楽しそうに笑った。仲良くなったつもりでいた。だが最後に、彼らは追加で20ドルをせびった。最初は絶対に取らないと言っていたのに。


腹は立たなかった。彼らは、お金がなければ家族が食べていけない世界に生きていた。私は東京の大学生だったが、世界の片側に生まれただけで、私は彼らよりずっと多くの物理的な選択肢を持っていた。16年経ったいまも、あの夏の景色は消えていない。


その10年後、29歳の大晦日、私は沖縄にいた。ちょうどその頃、地球の反対側の米国で、私の一番の親友がマイアミの旅行中に溺れ、帰らぬ人となった。彼はMBAに留学中だった。ふざけ合うばかりの関係だったから、あいつが真面目にビジネススクールで勉強するというのが、私にはおかしかった。最後に取ったコミュニケーションは、留学直前に私がFacebookで送った「似合わねえな(笑)」というメッセージだった。


物的限界とは、そういう問題だ。統計ではなく、具体的な、固有名詞の、物理的な不在を生む。AIの進歩は、この不在を、直接には埋めない。だが、Materializationの加速は、この不在の数を、確かに減らすことができる。


カンボジアのあの少年たちの家に、$1,000の安全な小型車があれば、もっとたくさんの仕事の選択肢を持てたかもしれない。親友が溺れたあの海岸に、安価な常時監視の目と、即座に駆けつける救助ドローンが物理的に存在していたら、彼の運命は、違っていたかもしれない。


命や生活の限界だけではない。人類には、14個もの大きな物的限界がある。


そして、この文章そのものが、私自身への宿題でもある。


加藤 勇志郎
2026年9月

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